エルモ失踪
「エルモを連れて西へ」
出発した日は快晴で、真っ白の富士山が青空に映えて美しかった。
休憩を入れて約10時間のロングドライブは
以前は全然へっちゃらだったのに少しずつ交代する回数も増えた。
車の中のエルモはと言うと、後ろのケージの中のベッドか
助手席の人の足元や腕の中でじっと良い子にしている。
帰省先の実家でもほとんどの時間を慣れないリードに繋がれているけれど
無理に逃げようとはせず別人、いやまるで別猫。
まさに借りてきた猫状態だ。
年をとって来たとは言え、普段は家と外を自由に行き来する暮らしをしているから
ストレスは溜まっているだろうけどその素振りは見せなかった。
あの時までは、、、。
「エルモ失踪 前編」
帰省から数日が経ち実家での生活も落ち着いた頃
珍しく朝風呂に入っていると、妙に近くでエルモの鳴き声が聞こえた。
普段からお風呂に入るとドアの前で入れておくれとにゃーにゃー鳴くので
いつものそれかと思ったが、、、
ん?待てよ。ここ、実家だぞ。
エルモは二階の部屋に閉じ込めているはずだぞ。
「エルモ。」
「にゃー。」
「エールモッ!」
「にゃー、にゃー!」
いやいや、おかしいでしょ。
どう考えても二階の部屋、階段、廊下、脱衣所、お風呂の距離感じゃない。
すぐそこにいる声だ。
お風呂のドアを開けてみる。
いない。
脱衣所のドアも開けてみる。
いない。
嫌な予感がして1号を呼んだ。
「すぐ近くでエルモの声がしたの。何かおかしい。二階のお部屋を見て来て!」
事態を把握していない1号は内心、何を騒いでいるんだろうって感じで二階の部屋を見に行った。
そして、、、 エルモの脱走が発覚した。
二階の部屋には入り口のドアとは別に、一階の天井裏に通じる小さな扉があり
それが開いていたのだ。
やられた。
押して開けるタイプのその扉は、普段は開けられないように紐できつく縛っていたのだが
大人しいエルモに油断して、その紐が緩んでいたのに気がつかなかったのだ。
どうやら私が聞いた鳴き声は、お風呂の真上からのようだった。
その時はまさか天井裏にいるなんて思いもしなかったから
廊下からだとばかり思い込んでいたのだった。
天井裏は手前が物置のようになっていて
そこには古本や、使われなくなった道具が置かれ、小さな電気が付いていた。
そしてその奥は薄暗い天井裏へと続いていた。
この時点では天井裏にいる事は分かっていたし
しばらく放っておけば満足して戻って来るか、いずれ捕まえられるだろうと軽く考えていた。
天井裏からは、外には出られないと聞いて安心していたのだ。
お風呂から出て、懐中電灯や誘いのチュールの用意などあれこれしている内に
エルモの声がパタリと聞こえなくなっていた。
どこにも行けないとは言え、壁の隙間に落ちる事だってあるし
天井裏は釘だってあちこちから出ている。
心配になって天井裏の奥の暗闇に向かって呼んでみる。
「エルモー!」
…
「エルモー!」
…
ちょっと、頼むよ。
さっきまでお返事してたじゃん。
絶対、どこからも外に出られないよね?
抜け出せそうな隙間は無いよね?
何度も母に確認するが大丈夫だと言い切っている。
だがしばらく経っても一向に戻ってくる気配がしない。
痺れを切らして1号が懐中電灯を持って、天井裏へと捜索に入った。
どこを照らしても見当たらない。
何度も何度も捜索を続け、落ちてしまいそうな隙間や梁の裏側などを隈なく探した。
そして、全く気配がしなくなった。
「エルモ失踪 完結編」
いくら天井裏からは外へ出られないと聞いても
どこかの小さな隙間から、するりと外へと出たに違いないと思うようになっていった。
そうでなければ(考えたくも無かったが)
怪我などの理由でどこかで動けなくなっているかだ。
どちらにしても最悪だ。
全く地の利の無い場所で逃げたら、そう簡単には捕まらない。
この辺りは野良猫も多くよそ者がウロウロすれば、たちまち追いやられてしまうだろう。
家の周りや近所中を探し回ったがまるで気配が無かった。
いつの間にか夜になり、静かな田舎でこれ以上捜索を続けるのは難しかった。
お互いに無言のまま、1号は明日の朝に届け出る役場や保健所などを洗い出し
私は他の捜索手段を模索したりチラシ用の写真を用意したりしていた。
1号にはエルモ部屋の隣りの寝室で休んでもらい
私は外から帰って来た時にすぐに物音に気付けるように、一階の居間で休む事にした。
朝方、うとうとしていると
テコテコテコ
テコテコ
小さな小さな足音が聞こえる。
ん?待てよ。
心配のし過ぎで幻聴って事も考えられる。
よーく、耳を澄ます。
テコテコテコ
テコテコ
いや、確かに聞こえる。
この音は、、、天井裏からだ!
やっぱり天井裏にいたんだ!
急いで二階へ上がり、例の扉の奥に向かってエルモを呼ぶ。
返事は無い。
暗闇に向かって目を凝らすと一番奥の梁の上に
白くぼんやりとエルモらしき姿が浮かび上がった。
「エルモ!」
返事は無いが、こっちを見ている気配はする。
と言うのも、急ぎすぎて懐中電灯を忘れてしまい
視力が悪い私は眼鏡をしていても、こんな暗闇の奥の方なんて何となくしか見えないのだ。
でも、確かにいた。
、、、気がする。
いや、いたよ。絶対。
物音ですぐに1号がやって来た。
「エルモ、いた!
、、、と思う。」
「どっちよ?」
「いや、いたよ。
あれは絶対エルモだよ。」
今度こそ確実に姿を確認しようと懐中電灯を片手に戻り
騒がず出来るだけ平静を装って、暗闇に向かって優しく呼びかけ続けた。
梁の所にはもうエルモの姿は無かった。
こうなったら辛抱強く待つしか無い。
しばらくするとまた、足音が聞こえた。
「エルモ!」
懐中電灯で奥を照らした。
さっきの梁の上にすっくと立って、こっちを真っ直ぐに見ているエルモがいた。
懐中電灯で照らされた眼がピカッと光っている。
その姿と言ったら、外で獲物を捕まえた時と同じような、独特の野性オーラを放っている。
ちょっと格好良い。
天井裏は何度も何度も捜索したのに、全く気配を消してどこかに潜んでいたのだ。
さすが何時間でも辛抱強く気配を消し獲物を狙う野生児エルモだ。
(感心してる場合かっ。)
ま、兎に角、野性でも何でも良いや。
エルモがいた。
後はどう捕まえるかだけの問題だ。
脱走してから約20時間。お腹も空いているはずだ。
ここはやっぱりチュールしか無い。
「エルモー!
チュールだよー。」
魔法の言葉だ。
普段ならこれで解決なんだが、野性スイッチが入ったエルモはそう簡単には寄って来ない。
チュールよりも自由を愛するのだ。
だが空腹には勝てず、迷いながらも近づいて来る。
一歩ずつ近づくたびに、顔つきやしぐさが
野性から飼い猫へと、少しずつ変化して行くのが分かった。
後一歩のところで小さく「にゃー」と鳴いてチュールを舐めた。
すぐには捕まえず
慎重に慎重に、、、
そして一気に。
捕獲成功。
まずは怪我をしていないかチェックし
真っ黒になった身体中を拭いた。
落ち着いた頃には、お地蔵さんのようにちんまりと
何事も無かったように、また借りて来た猫に戻っていた。
こうしてエルモの真冬の大冒険は終わった。
あー、疲れた。
脱走中は食事も喉を通らなかった家族一同
見つかったその日の夜ご飯には、前日食べそびれたすき焼きをたらふく頂いたのでした。