2022-09-28
ゲルハルト・リヒター展
東京国立近代美術館で開かれている「ゲルハルト・リヒター展」に行ってきた。
ポスターに生誕90年、画業60年とある通り、90歳ながら現役バリバリの現代アートを代表する作家、リヒターの一大回顧展となる。
さて恥ずかしながら告白しておくと、僕はリヒターに関して、不勉強なことにそれほどよくは知らなかった。
なんとなく、オークションではものすごい値段がつく現代アートの巨匠かな?くらいの認識だった訳だけだ。
それが展覧会が始まるや、各アートメディアや SNSから次々と発せられる情報に、「これ観なきゃだめでしょ」感がじわじわと押し寄せ、「やっぱり観なければ!」と、居ても立ってもいられなくなって、閉会近いこの展覧会になんとか駆けつけたという次第。
最終週前の週末からは混み合うだろうと、週末前の平日に行くことにしたのだが、それでもなかなかの人の入りで、やはり人々の注目度の高さが伺えた。
で、いよいよ入場。
入ったところのスペースは、「アブストラクト・ペインティング」ルーム。
絵の具を大きななヘラで、コッテリとこすりつける手法で描かれた抽象画作品が、四方の壁にぐるりとかけてあり、その真中に8枚の巨大なガラス板をランダムに組み合わせた作品がデーンと置いてある。
誤解を恐れずに言うと、こういう訳のわからない抽象画は、2次元の小さい写真を印刷物やWEBで見ても何も分からない。ほとんど伝わらない。
直接その目で、その大きさや、その色彩や生々しい絵の具の重なりを見て、ただ、感じるしかないのだ。
昔、ニューヨークで初めてジャクソン・ポロックの所謂ドリッピング作品に触れたときがまさしくそうだった、と思い出す。
本や雑誌を読んでなんとなくポロック作品を分かっていたつもりでいたが、なーんも分かってなかったじゃん、と後頭部をハンマーでしたたか殴られたような衝撃を受けたものだった。
リヒターの作品もまさしくそう。
押しつぶされ、ひっかかれたカラフルな絵の具の層から、何を読み取るかは観客次第だが、そのうち、そんな事もどうでもいいような気もしてくる。
只ただ圧倒されるのみ。
さて、リヒター作品の歩みはまさしく現代アートの歴史そのもの、のような気がしてくる。
その時代時代に於いて、現代アートの変遷を反映するかのように、様々な手法を探求しながら表現し続けてきたことが、今展覧会ではよく観て取れる。
まず、リキテンシュタインらのポップアートに呼応する形で生み出された「フォト・ペインティング」。
これは当初、日常的でありふれた広告写真などを、キャンバスに複写したように描き出したところから始まったらしい。
最初は「モーターボート」という作品で、コダックの広告写真をキャンバスに写し取ったもの。一見モノクロのピンボケ写真のごときその作品は、近づいてみると、リズミカルな刷毛のタッチで、“もやもやー、もやもやー”とブラーがかけられている。
それ以後も続く「フォト・ペインティング」だが、静物や人物写真をそのまま絵画化するだけではなく、時に荒々しく、時に淡い絵筆のタッチでボカシやブレが加わえられ、写真のようにも絵画のようにも感じる不思議な表現になっている。
で、写真のように見えるその絵をまた、写真にして発表したりもしていて、不思議な上にややこしくもある。で、面白い。
「カラーチャート」という作品はまさしくミニマル・アート。
色見本のようなカラーチップの配列が組み合わされた巨大なパネルになっていて、それが何点も壁面一杯を覆っている。その会場に応じて、カラーチップを並べているという事らしく、その場所その場所で違う配列になるらしい。
巨大な色彩の壁に対峙すると頭の中はいくつもの「?」で満たされるが、これも本物を観ないと絶対に伝わらない迫力をもった作品だ。
「ガラスや鏡」。前述のアブストラクト・ペインティングのスペースのように、会場にはガラスや鏡の作品もあちこちに置かれている。
それらは周りの配置された作品や、それを眺める観客を映し出し、空間全てを取り込んだインスタレーション作品にもなっている。
「ストリップ」はデジタル技術をその手法に取り入れた現代ならでは作品だ。
様々な色のストライプが水平に続く巨大な作品で、これって縦に並んだ色彩の配列を横方向に、果てしなくコピペを繰り返して出来たあがったものかと思われる。
そのアイデア自体は、デジタル・グラフィックスをいじった者ならば割と思いつきそうなネタではあるが、さすがリヒター、それを完全なアート作品に昇華している。作品サイズは縦2m横10mにもおよび、その迫力も桁外れ。
間近で見ようと近づくと、視野一杯になったカラフルな直線の流れに飲み込まれ、平衡感覚がおかしくなり、本当に何度も頭がクラクラしてしまった。
他に「オイル・オン・フォト」「グレイペインティング」、そして最新作の「ドローイング」等などと、みどころがギッシリ。
これら作品群は特に時代別に並べられていることもなく、順路も自由に、各作品を見て回ることが出来た。
さて、やはり、今回の展覧会の目玉はなんと言っても、高さ2.6メートルの抽象画4点で構成される「ビルケナウ」だろう。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で隠し撮りされた写真がもとになるこの作品。当初は、フォト・ペインティングの手法でキャンバスに描かれていたが、それに納得がいかなかったリヒターにより、最終的にはアブストラクト・ペインティングの手法で、黒と白とグレイと所々に赤や緑の絵の具を使い、コッテリと塗り固められてしまった。
作品を前にして、見る者はまたしてもその荒々しく描かれたペインティングの圧倒的な迫力にガツンとやられるわけだが、本作品はそれだけではなく、その荒々しい絵の具の底に静かに眠っている今はもう見ることが出来ない「収容所の描写」に思いを馳せることになる。
すごいな、リヒター。
という訳で本当に、とても一人の作家の作品展とは思えないほど、具象と抽象を行きつ戻りつ、多面的で多層的で、振り幅のひろい展覧会であった。
明けて翌日、録画してあった日曜美術館のリヒター回を見た。
展覧会に行く前に見ようかなとも思ったのだが、余計な先入観は持たない方がいいような気がして、結局、見ずのまま出かけていったのだった。
番組ではビルケナウの制作秘話に焦点が当てられていて、この昨品の成り立ちが丁寧に解説されていた。
会場では、なんとなく理解していたものの、なるほど、こういうことだったのかと今更ながら深い感銘を受ける。
当然ながら、いろんなことを知って見るのと、何も知らずに見るのは全然違う。
どっちが良いということではなく、どっちもアリだ。
でも、機会があれば、ぜひもう一度見てみたいものだ「ビルケナウ」、と改めて思ったのだった。
ちなみに、東京は10月の2日まで。
その後は10/15から愛知県、豊田市美術館へと巡回。会期は2023/1/29まで。
行くか豊田市美術館、、豊田のみに展示される今年の最新作あるらしいし、、、ついでに名古屋でひつまぶし食べてと、、、。

ゲルハルト・リヒター展
サトコによるレビュー動画
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