2015-03-23
by Yla

Deaf Schoolと葡萄畑の話

長生きはしてみるもんだ、とつくづく思う。
びっくりしちゃうよね、こんな事が起きるなんて…。

 

14日の土曜日、
旧友あおちゃんから去年、その話を聞いて以来、
ずーっと心待ちにしていた「Deaf School」のライブに出かけてきた。
3年前にも来日公演をはたしていたらしいが、その時は残念ながら情報を掴めず見逃してしまっていた。
しかし、今回は見逃さないよ。
それになにより、今回のライブのオープニングアクトを務めるのは他でもない、
あおちゃん率いるスペシャル再編成の「葡萄畑」なのだった。
これは何を置いても、見にいかざるを得まい。

スペシャル編成の「葡萄畑」は、あおちゃんの現在のバンド「BANDA PLANETARIO」との混合メンバー。

 

Deaf Schoolと葡萄畑の話を少し…。

 

今から40年近く前の話、
まだまだマンガやイラストの仕事を始めていなかった二十歳すぎの僕は、
その頃、新宿の輸入レコード屋さんでアルバイトをしていた。
HMVやタワーレコードといった大型店が出現する以前、
輸入レコードはまだまだマニアックなもので、
当時の輸入レコード屋さんはちょっと独特の文化圏を形成していた。
つまり、音楽に敏感な最先端人間の情報交換場所であったり、
ニッチな音楽オタクの避難場所であったりしたのだった。

 

で、無類の音楽好きだった僕にとっては、これはもう実に夢の様な職場であった訳で
(給料が安いのが玉にキズだけど)、
そこで出会った人やモノや出来事は、その後の人生の大いなる糧となってくれたのだった。
そして、そのお店にお客さんとして来ていたあおちゃん、
バンド「葡萄畑」のボーカル青木和義氏と知り合えたのも
その大いなる糧の最たるものだと思う。

 

僕としては、上京前の高校生時代に葡萄畑のライブを見たこともあるし
(その時は小阪忠のバッキングバンドだった)
今野雄二氏がMCを務めていたテレビ音楽番組「NOK」に葡萄が出演していた事もあって
あおちゃんはまさに憧れの存在だった。
セイラーや10cc、スパークスやロキシー・ミュージックといった
一癖も二癖もあるポップミュージックが好き、という共通の趣味のお陰で、
あおちゃんとは親しくなっていったのだと思うのだが、
そのきっかけは何と言っても「Deaf School」だったと記憶している。

 

「Deaf School」は1976年に登場したリバプール出身のバンド。
アート・スクール出身、
シニカルでひねくれたポップ感覚、
男女混合の大所帯編成が繰り広げる多彩な楽曲、
映画のワンシーンを思わせるドラマ仕立ての展開、
そんな……、ブリティッシュポップ…。
前述の趣向を持つ人間として、このバンドが好きにならない訳がない。
彼らのファースト・アルバム「Second Honeymoon」は、
あっという間に当時の僕のお気に入りの一枚になっていた。

しかーし、上には上がいるもので、
レコード屋さんのカウンター越しにあおちゃんこと青木さん曰く
「いいよね、デフ・スクール
 だから早速彼らに手紙を書いたんだよ。
 すると向こうから返事が来てさ、
 せっかくだから、日本でファンクラブを作ろうという事になって、
 君も入る?
 デフ・スクール・ファンクラブ」

 

なんせ古い話なもんで、記憶違いによる相当の脚色はあるものの
たぶんこんなやりとりがなされたのではないかと思う。
あおちゃんの横には、当時美術大学生だったS君(後のスージー甘金氏)がいて
あおちゃんに頼まれて作ったデフ・スクール・ファンクラブ・バッジを
カウンター越しに僕にも差し出してくれたのだった。
のではないかと思う、、、。

これがその時のバッジ(画像はあおちゃん提供)

 

さて、そんなこんながあり結成されたデフ・スクール・ファンクラブも、
たいした活動をするでもなく、会員バッジを作っただけで、時の狭間に忘れられていった。
当のデフ・スクールも、その後起こったパンク、ニューウェイブの荒波にもまれながら
「Don’t Stop the World」「English Boys / Working Girls」と
全部で三枚のアルバムを出したもののそれらが大してヒットするでもなく、
1978年にはなんとなく解散してしまったようだった。

 

しかし、そのデフ・スクール・ファンクラブをきっかけに始まった
あおちゃんとのお付き合いはそれからも続き、
氏にはその後も、ほんと、いろいろな事を教わる事になる。
フェリー二の映画、ニーノ・ロータの音楽の素晴らしさ…、
一緒に行った京橋フィルムセンターで見たアラン・レネの「夜と霧」「去年マリエンバートで」…、
ニュージーランドのバンド、スプリット・エンズの楽しさ…、
数え上げればきりがない。

 

それだけではなく、
あおちゃんが葡萄畑解散後に結成したテクノバンドにメンバーとして加えていただき、
「渋谷ジァン・ジァン」でマンスリーライブを行ったりした。

 

そのバンド解散後、ポリドールのディレクターとなったあおちゃんのお仕事
「今野雄二さんプロデュース/ANYWAYS」のジャケットワークをやらしてもらったり…もした。
その後も、、、、エトセトラ、エトセトラ。
ほんと、いろいろとお世話になったなぁー…と、あらためて感じる。

 

 

さて時はめぐり、話はもどる。
件のデフ・スクールさん、
ちっとも知らなかったが、彼らは10年ほど前に再結成を果たし
現在も継続的にライブ活動を行っている様子。
で、その二度目の来日公演が先日のライブだった訳である。

 

そして、そのフロントアクトに、あろうことか葡萄畑!
僕としては、この奇妙な偶然というか
時を経た必然というか、、、
そんなものに心踊らせられないわけがない。

 

 

決して広くない高円寺のライブハウス、
そこで繰り広げられる「葡萄畑」と「Deaf School」の共演に
その素晴らしい演奏に、
僕は只々胸を熱くしてステージを見つめるのだった。

 

長生きはしてみるもんだね。
びっくりしちゃうよね、こんな事が起きるなんて、ったく…。

 

ライブ後、Bette BrightEnrico Cadillacと一緒に写真撮ってもらったりして…

 

 

ちなみに、これは1977年の葡萄畑、
前述のテレビ番組「NOK」でのライブ。

 

 

こっちは同じく1977年のデフ・スクール「What a way to end it all」
やっぱり、かなり通じるものがありますね。

 

 
 

葡萄畑に関する記事はこちらにもあります。

 

葡萄畑の夜(2009/10/28)

葡萄畑 プレゼンツ BANDA PLANETARIO(2009/12/26)

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