「銀座」
ちょっと前の話になってしまうけど、昨年11月、
長友啓典さんが発行していらっしゃる読むデザイン誌「クリネタ」から、
アンケートに答えるという機会をいただいた。
このアンケートは毎回出されるひとつのお題に各界のソーソーたる人達が答えるという、
この雑誌の名物コーナーのひとつで、
豪華なメンツの中に名前を加えさせていただいて実に光栄なことである。
で、アンケートのお題は「銀座」。
銀座と言って思い出すのは、、、と、たらたら文章を練ってはみたのだが、、、
ところが、アンケート回答の規定は200文字以内。
ぜーんぜん入りきらなくて大幅に内容をカットして無理矢理制限字数に押しこみ、
先方へ提出させていただいた。
さて、その大元の原稿を、このまま闇にホオムルのもナンなので、ここに載録してみることにした。
私にとって「銀座」とは、、、、、
「銀座で思い出したハズかしいラップの話」
若い頃ってのは、ハズカシイことの塊だったりする訳だけど、
銀座と聞いて思い出したそんなハズカシイ話をひとつ。
30年ほど前、 渋谷や新宿あたりの山手線のひだりっ側ばかりで遊んでいた僕にとって、
銀座という街は、ほとんど縁のない所であった。
どちらかと言うと、なんだかカッコ付けた退屈な大人の街、
というのが僕が持っていた銀座のイメージだった訳だが、
裏を返して言うとビンボーでパンクな僕のような若者が
そうやすやすと馴染みになれそうな所ではなかったのだ。
さて、そんな僕が銀座にちょくちょく行くようになったのは、
当時、並木通り6丁目にレコーディングスタジオがあった為か、、、。
漫画家、イラストレータとして仕事を始めて数年、
その頃の僕には音楽制作の仕事というのも幸運な事にちらほらとあって、
その折によく使わせてもらっていたのが、そのレコーディングスタジオ
「スモーキースタジオ」だったのだ。
(このスタジオはCharのホームグラウンドとして作られた伝説のスタジオ、
残念ながら現在ではもうないらしい)
ヒップホップ黎明期の立役者ビル・ラズウェルのプロデュースで、
日本語ラップ「TYOロック」をレコーディングをしたのも、そのスタジオだった。
なぜに、ニューヨークの大物ミュージシャンと、
名もない日本のイラストレータが一緒に音楽制作をしたのかは、
今となってはあまりにも謎が多すぎてよくわからないのだけど、、、、、
とにかく、舞い込んだビッグチャンスに僕としては無い知恵を絞りまくって楽曲を作り上げた。
タイトルは「TYOロック」
これから日本を訪れようとする外国人に向けて
トンチンカンな東京案内を繰り広げるというラップミュージックだ。
知恵を絞った割に出て来たのがこの程度てのが、もうすでにかなり恥ずかしいのだけど、
それでも、こういう間違った偏見日本紹介ラップが
ニューヨークのデスコとかで流れたりするとそりゃ面白かろうという一つの目論みではあった。
(実際、アメリカ発売される予定だった。残念ながら実現しなかったけど)
そして、その歌詞には、前述のビンボーでパンクな若者だった僕が
違和感を感じながら通った銀座という街のイメージも、多分に織り込まれていたように思う。
「まずは銀座は日本のパリだよ、並ぶガス灯石畳。
行き交う人たちゃシックでオシャレよ ちょんまげヘッドにカンサイのスーツ。」
と、始まるこの曲、、、。
うーん、やっぱり、かなりハズカシイですね。
以上が原文。ぜんぜん長いじゃん。
これをチギッては投げチギッては投げて無理矢理押し込んだ200文字拙文、
これが掲載された「クリネタ」2011年冬号(16号)は現在発売中です。
で、そうこうしてる間に次号のアンケートもやって来た。
次号の特集は「経済」とのことで、アンケートは「お金の愚痴を聞かせてください」。
むむむ、、、これも200文字じゃとーてー、収まりそうにないねえー。