2010-10-19

我が愛しの部長

「オッパイのところに小さな腫瘍がありますね、、、。
今のところは問題ありませんけど、いずれは手術してとった方が良いと思います。」
部長は毎年、予防注射の時に健康診断をしているが、
今年の健康診断の時に、先生がそう言った。

 

帰ってから1号とチェックをしたが素人の我等にはほとんど分からない程の小さなものだった。
手術となると「全身麻酔」をしなければならない…。
それは過去の部長の闘病を思い出させる恐怖の単語だ。

 


我社に来たばかり。生後3ヶ月頃の部長。

 

我社に来たばかりの部長は身体が弱く、ほとんど食事もとらず、
下痢が続き、血便ばかりしていた。
トコトコと歩いていると、突然パタリと倒れる事も少なくなかった。
ぐったりとしている時はこのまま息絶えてしまうのではないかと心配で、寝ずに見守った。
入院もしたが、その後もこの状態が延々と続き、毎日注射器のようなもので薬をあげ、
症状が悪くなる度に、週に何度も病院へ駆け込んだ。

 

これらの状態から判断すると、肝臓の難病が疑われた。
今後、はっきりとした症状が出ない場合もあるが、
出た場合は大学病院で手術をしなければならなかった。
まず、この病気かどうか明らかにする検査自体で、「全身麻酔」をし、
開腹をして造影剤で調べる必要があるとの説明を受けた。
そして、このままだと順調に成長する可能性は低く、長くはないだろうと言われていた。

 

もちろん先生も勧めはしなかったが、考えられる治療はすべて施したが一向に経過が良くならず、
この原因不明の病状を知る最後の手段としての意見だった。
当時、まだ数百グラムしかなかった部長が
生命のリスクのある「全身麻酔」に耐えられるかはほとんど賭けのようなもので、
ましてや検査の為だけでなんて我等には到底受け入れ難かった。

 

藁をもすがる思いでずっと通っていた病院を変え、野村獣医に駆け込んだ。
何とか少しずつでも体重を増やし、体力や抵抗力がつくよう見守った。
前の病院を含めこの病院通いは1年程続き、ようやく普通の生活が送れるようになっていった。

 

しかし、元気になったとは言え、2才頃になっても闘病の影響の為かまだまだ身体は小さく、
「あらー可愛い!今何ヶ月?」と聞かれ、「2才です。」と言うと、
「えっ?小さいわねえ、、、。」と少し同情交じりで驚かれた。
当時は今のような小さいトイプードルはあまり居らず、ティーカッププードルなんて存在していなかった。
それで我等は長い間、このような質問を受けると同情されるのが嫌で
「まだ、半年です。」と答えるようにしていた。

 

今ではそんな事を言われる事もなくなり、元気に10才を迎え、
年に一度、予防注射とフィラリアのお薬をもらう時以外、ほとんど病院へも行かなくなっていた。
いまだにこの時の病名が何だったのか、どの薬が効いたのかははっきりとわからない。
ただ、何とか命を繋げ、少しずつでも大きくなっていき、抵抗力がついたのだろうと思っている。
最近、心臓が少し悪いと分かったものの、今のところ
普通の生活には支障のない程度で気にする事もないそうだ。

 


さて、話は戻ると、手術=全身麻酔と聞くと、
このような過去の記憶がザザーッと蘇り、怖くなってしまうのだ。
「ま、手術って言っても、すぐにって言う訳じゃないんだし、考えるのはよそう。」と話していた。
、、、がっ!今月頭にいつものようにひっくり返って甘えている部長のお腹をなでなでしていると、
「ん?」 何かが指先に当たった。

 

例の腫瘍だった。

 

先生に言われた半年ほど前にはほとんど分からなかったのに、
今はコロコロとしていて小さいけれど確かに分かった。
大きくなっていたのだ。

 

すぐに心配になり、病院へ行った。
その結果、まだまだ小さいけれど摘出手術を受けることになった。
その腫瘍とは「乳腺腫」で、一番の予防策は生後7、8ヶ月の時の避妊手術だそうだ。
生まれてから1年以上も闘病生活を送っていた部長が避妊手術なんて出来るはずもなく、
その後、やっと元気になった部長に、我等も手術なんてさせたくなかった。

 

この判断が間違っていたのでは、、、と不安になったが、10才ともなるともう立派な高齢犬であり、
この腫瘍が出来ずとも、何らかの病気になる可能性は十分にあり、
避妊手術をさせたからと言ってすべての病気を避けられる訳ではないと言われ、後悔するのはやめた。
長くはないと言われながらも、元気になった部長の生命力を信じているし、
この手術自体はとても簡単で、今まで行った何万件の手術でも一度も全身麻酔の事故は無いので、
安心して下さいと言われたが、それでも心配で、出来れば手術なんて受けさせたくはなかった。

 

不安を抱えつつ日々は過ぎていった。

 


手術の2日前、トリミングに行き、普段よりも短くしてもらった。
もしかして、包帯を巻くかも知れないし、清潔を保つ為にもその方が良いと思ったのだが、
身体も足もすっかり細くなった部長は痩せて小さく見える。
何だかヒナみたいだ。

 

そして、手術当日、早めに家を出て野村獣医に向かった。

 

まずは血液検査をして麻酔に問題がない状態かを調べた。
検査に問題が無かったので、3回注射を打った後、手術へ。

1回目の注射の後は抱いて時間を待った。

 

2回目の注射後は手術室のケージへ移動。

 

ここの手術室は診察室や待合室とガラスの壁で区切られているだけなので、すべてを見守る事が出来る。
ガラス越しに見ていると部長の方がワタシを気にしてしまうので、座って待っていて下さいと言われた。
しかし、心配なワタシは部長には見えないように柱の陰から「家政婦は見た」状態で様子を伺う。
その怪しい様子を見て、看護婦さん達が「気持ちは分かりますよ。」と笑っていた。

 

ケージに入っても看護婦さん達が通る度にシッポを振ったりしていた部長だが、
徐々に麻酔が効き始め、立てなくなっていった。
その様子が痛々しく、恐ろしく、ワタシは完全にとっ散らかってしまった。
簡単な手術なのに、あまり大げさに心配するのも恥ずかしいので、
冷静を装い普通に話をしているつもりだが、ベラベラと何を言っているのか自分でもさっぱりわからない。

 

ついに意識を失った部長に3回目の注射が打たれ、手術台へ。

 

気道に管が通され、装置に繋がれる。
これで万が一、呼吸が止まっても安心だそうだが、考えただけでも倒れそうだ。

 

お腹の毛を剃り、消毒後、メスで患部を開く。
ピンセットのようなもので腫瘍をつまみ、そのまわりを切り取り摘出。
抜糸の必要が無い糸で縫合し、終了。
ほとんど血も流れず、先生の手際の良い美しい手さばきは見事だった。

 

手術の間、ワタシは顔面蒼白、貧血、パニック状態だったが、1号は冷静に見守っていた。立派だ。
ついでに今まで溜まった歯石の除去もお願いした。
犬は歯石を取るにもこの全身麻酔をしなければならないのだ。
ここのところ気になっていたお口の匂いや歯の汚れもこれでバッチリだ。
この頃になるとワタシもようやく落ち着き、安心して見ていられるようになった。

 

まだ麻酔が覚めないので、ストレッチャーで3Fの回復室へ。
新生児が入るような透明のケースの中で、意識が戻るのを待つ。

 

目が開いても呼びかけに反応がない。

 

手を入れる小さな窓から身体を撫でてみたり、呼びかけたりしながら回復を待った。
しばらくすると、声に反応してシッポを振り始めた。
これで安心だ。

 

 

このフロアの番兵、パプワ・シワコブ・サイチョウの「バンダ君」や
先生の愛猫「トラジロー」見守る中、無事生還だ。

 

抱いて診察室に戻り、説明を聞く。
抜糸の必要もないので、何か変わった様子が無ければ通院の必要もなし。
ただし、高齢犬の場合は食欲が無くなったりする場合があるので、
その辺は注意して何かおかしいようならすぐに連れて来て下さいとの事だった。

 

お薬を出してもらって、外に出るともう夕方になっていた。

 


帰りは1号が運転し、助手席でワタシが部長を抱いた。
まだ麻酔が完全に醒めたわけではないので、ぼんやりしていて、道中、ほとんど眠っていた。

 

帰宅後、部長は手術の為に昨夜から何も食べていなかったので、すぐにご飯をあげた。
この頃にはもう普通の状態に戻っていて、麻酔後の食欲不振を心配したが、ペロリとたいらげた。

 

傷をほとんど気にする事もなく、舐めたりもしない。
エリザベスカラーもしていないので、病院で傷を舐めてしまう場合はどうすれば良いかと聞いたのだが、
「ほとんどその心配はないはずです。」と言っていた。びっくり、その通りだ。
食後はいつものように甘えたり、遊んだりしている。
こちらが拍子抜けするぐらい普通だ。

 


術後、傷のまわりが赤くなり少し腫れていたが、随分と良くなった。

  

まだ1週間も経っていないが、今はちょっと引っ掻いたぐらいにしか見えない。
その傷をそっと触ると、ワタシは身体中に寒気と悪寒が走る。
いくら良くなったは言え、やっぱり痛々しくて、どうしてもダメなのだ。

 

普段は山や川や海にも一緒に行き、藪に入ったり、泳がせたり、厳しく逞しく育てたつもりではいるが、
一旦、どこかが具合悪くなると急に気弱になってしまう。

 

こんな意気地なしのワタシに比べ、弱い弱いと思っていた部長は、
あの幼い頃の瀕死の状態をサバイブして生き残り、 案外、逞しいのかもしれない。

 

まるで何事も無かったかのように部長は庭を探検し、日々元気に過ごしている。

 

どうか、どうか、このまま少しでも長く、
健康で暮らしていけますように。

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